5回にわたり、中学受験グノーブルの国語科の先生による座談会を連載いたします。

-中学受験を通して身につける国語の力-
最近の国語入試の状況、国語の力を伸ばすためには何が必要なのか、グノーブルの国語の指導や授業の特色などについて国語科の先生3名に語っていただきました。(『グノレット』16号掲載予定「グノーブル 国語講師座談会」より)

第1回 なぜ中学受験の国語は大きく変わったのか

hyodou兵頭:入試で出題される読解問題の文章には大きく分けて二つの柱があります。ひとつは物語文、もうひとつは説明文や論説文・随筆文です。また出題の形式には、記号タイプ・抜き出しタイプ・記述タイプの3種類があります。記述タイプを全く出さない学校は少なく、年々表現する力が求められるようになってきています。
 たとえば、今春の入試問題では、今まで記号・抜き出しタイプだった学校が記述タイプの問題を出題したり、記述問題においても制限字数内での解答を求めていた学校が、一行空欄の解答欄となり字数制限がなくなるなどの変化が見られました。
 記述問題を増やしたり、字数制限をなくしたりすることは、解く技術、書く技術よりも、文章の本質的な理解を重視するという中学校側の意図を感じます。

yamashita山下:入室説明会でもお話ししていますが、保護者の方々が受験された頃と比べて、今の入試がどのように変化しているのかを知っていただきたいと思います。昔に比べて近年の問題は、語句・知識事項の比重がかなり下がったという点と、文章が非常に長くなったという点が特徴としてあげられます。
 つまり今の中学受験は、長文を主体にしてその内容理解や自分で説明する力を見る問題に比重が移っていると言えるでしょう。細かな知識ではなく日本語の文章をしっかり読んで、その内容を読解し表現する力が求められています。

大林:細かいことを問う問題というよりは、この文章で書き手が何を言いたいのか、読み手側の全体的な理解を記述で答えさせる傾向の問題が多くなっていると思います。

兵頭:こうした出題傾向の変化の背景には、子どもたちの生活自体が大きく変わってきたことがあるのではないかと感じています。今の子どもたちは、以前に比べて豊かな言語環境にふれる機会が少なくなってきてはいないでしょうか。

山下:たしかに核家族化による影響は感じます。たとえば子どもたちの身近に祖父母がいて、戦争の話、その悲惨さや食糧難のつらさ・ひもじさを聞くような機会は、単に時代の流れということ以上に少なくなっていると思います。

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大林:少子化の影響も大きいと思います。兄弟・姉妹など同じ家の中で暮らしていても異なる価値観を持っている存在と日々接することは多様な価値観を許容する土壌となるでしょう。年齢や性別が違えば言語レベルも違うので、そのような環境に身を置くことで自然と語彙も増えていった面もあると思います。少子化によってそういう機会も少なくなりました。

兵頭:こうした家庭環境の変化に加えて、社会全体も変わってきている面があると思います。これも子どもが少なくなっている影響からか、子どもはとても大切にされています。もちろん、安全であったり、個性が認められたりすることは望ましいことです。その一方で、子どもが行うことが「ここからここまで」というような形で厳しく制限されることが多くなっているように感じます。

山下:それは私も感じています。ある種の分業化というか、子ども扱いをしすぎることで、成長の機会を奪っている面があり、それは言語面にも及んでいます。

大林:運動会の徒競走でみんないっしょにゴールするということがかつて話題にのぼりましたが、そのように子どもだから競争は必要ないと決めつけて、差をなくそうとしすぎてしまう風潮は子どもたち全体の成長の歩幅を小さくしてしまうように思います。

山下国語・言葉という分野においては、背伸びをさせることが、子どもの成長を促す面があると思っています。たとえば読書でも、今の精神年齢にちょうどいいものを与えることは悪いことではありませんが、未知の事柄に出会うことで生じる苦労や気づきは得られません。

兵頭:中学受験の入試問題やグノーブルの国語で取り上げる文章はその学年の子どもたちにとって決して読みやすいものばかりではありません。ある意味、グノーブルでの国語の授業は背伸びをする機会だといえます。
 中学校側としても日ごろの暮らしや学習を通して、言語的に豊かな成長をとげられているかどうかを入試によって見たいのではないでしょうか。中学入試の国語が文章の本質的な理解を試す内容へと変化している背景には、こうした子どもたちを取り巻く状況の変化があるように思います。

国語講師座談会 出席者のご紹介

大林 和弘・兵頭 徹治・山下 倫央(中学受験グノーブル国語科)