8回にわたり、中学受験グノーブルの国語科の先生による座談会を連載いたします。
-中学受験で伸ばす国語の力-
中学受験の国語の特色や効果的な学習法、グノーブルの指導や特色などについて国語科の先生4名に語っていただきました。(『グノレット』24号掲載「グノーブル 国語講師座談会」より)
第5回 グノーブルの国語について③【高学年の授業・テキスト】
-授業では文章の様々な背景や立場や年齢などによる人々の考え方、感じ方の違いにまで対話を通して踏み込みます。生徒自身が深く納得したり、自ら気づいたり想像力を伸ばす機会が増えるので、その結果、本質的な理解を問う今の入試問題にも対応できるのです。
司会:4年生以上、高学年のグノーブルの授業の特徴は何でしょうか。
高橋:長文を読む時間と記述を書く時間を十分に確保している点です。
書くことについて言えば、短時間で記述の指導をしようとすると、形式的にひと言ふた言しか書けなかったのに授業が先に進んでいくということになりがちですが、グノーブルの国語の授業は、生徒が考えて書くことにかなり長い時間をかけることができます。
もし考えあぐねている生徒がいたら、講師がヒントを出したりアドバイスをしたりして生徒に書くことを促します。一見何も書けていないように見える生徒でも、何かしら自分の言葉を捻出しようとしている時間になっています。そうした時間を積み重ねることで、書くことが苦手だった生徒も、ある時から突然いろいろと書き出すようになり、いつの間にかとても上手に書けるようになっていたということはよくあります。
これは押し付けではなく、主体的にきちんと読んで考えるという習慣が身につけられる授業を行っているからこその成果だと思います。
兵頭:読むことについても、先ほど触れたとおりしっかり時間を割くようにしています。おそらく他の進学塾に比べても1.5倍、またはそれ以上読解に時間をかけているのではないでしょうか。
受験指導をしているので、残された時間が短いほど合格に直結する内容を選ばざるを得ないため、結果的にどうしても論理的、客観的な文章の読み方や得点力を養成するための学習に終始しがちです。このこと自体は必ずしも悪いことではありませんが、いわゆる最難関中では、本文中にはっきりと手掛かりがあるわけではなかったり、いくつかの手掛かりを総合的に自分の頭の中でまとめ上げなくてはいけなかったりするような出題が見られ、それらの問いに対応できるかどうかで合否が分かれます。
グノーブルでは読解の学習において時間に余裕がある分、講師が単に論理的に解説するだけではなくて、文章の様々な背景や立場や年齢などによる人々の考え方、感じ方の違いにまで対話を通して踏み込めるので授業の幅が大きく広がり、生徒自身が深く納得したり、自ら気づいたり想像力を伸ばす機会が増えます。その結果として、本質的な理解を問う今の入試問題にも対応できるようになっていくのです。
毎回の授業で文章のテーマをきちんと理解していればこそ、似たようなテーマの文章が出てきたとき「あっ、あの時にやったあれと同じだ!」と、一度手に入れたものを自分の内から取り出して使えるようにもなるのです。こうした実感の伴った理解とでも言うべきものを授業によって育んでいくところにグノーブルの国語の大きな特長があると思っています。
山下:進学塾ですから、受験に役立つことを学習するのは当然ですが、受験の成功だけをゴールに考えているわけではありません。受験は国語の大きな世界の一部でしかなくて、その意味では受験の枠を越えて生徒たちの理解力、思考力、精神年齢を上げていくというのがグノーブルの国語のねらいです。
教材の選び方にしても必ずしも入試に出題されそうなものを基準として選んでいるわけではありません。もちろん全く出そうでないものを意図的に選んではいませんが、出たことがあるから選ぶというものでもない。過去の傾向に過剰に合わせようとすることは、子どもの未来の可能性を狭めることにもなります。教材選びの基準は、「それを読むことによって子どもたちの今後の成長につながるかどうか」ということです。
そうした成長の積み重ねの結果、入試で問われる話題、内容をごく自然に自分の内部に収められるような生徒を送り出せれば何よりだと思います。
授業時間に関しては兵頭先生がお話されたとおりで、時間が短いと最低限のノルマを果たすような授業になってしまいます。ノルマというのは、この問題とこの問題が解ければ良いというようなことですが、それは結局過去の傾向の確認、踏襲になりがちです。そのノルマよりもプラスアルファのことができるようになったとき、定型的な解法の指導以上に、子どもたちの成長に寄与するような授業が実現できると考えています。
国語講師座談会 出席者のご紹介
大澤 塁・高橋 祥一郎・兵頭 徹治・山下 倫央(中学受験グノーブル国語科)