中学受験と大学受験。一言で「受験」といっても、そのありようは大きく異なります。それでもグノーブルには、大きな視点に立って生徒たちを育む共通する姿勢があると言います。
 そこで今回、大学受験グノーブルから2名、中学受験グノーブルから3名の先生方にお越しいただき、日々の授業での指導においてどのような工夫をされているのかをお聞きしました。
~学内誌『グノレット』22号の記事より~

楽しく学べる工夫 その1~中学受験編~

クラス授業ならではの活力、エネルギー。一人ひとりに意識を向けながら集団の良さを活かすのがグノ-ブルの授業

永井:中学受験グノーブルでは小学1年生のお子さまからお預かりしています。学習の入り口の段階として、何かを知ることや学ぶことは、ワクワクする楽しいことだというイメージを持てるように常に意識しながら授業に臨んでいます。
 その上で、通常15人程度の集団授業ですが、1対15ではなく、あくまでも1対1で15人とつながっているイメージで授業を行っています。個々との線を15本つくることで、15人という集団における活力、エネルギーが生まれます。集団の中で生徒自身が他者の意見を聞きながら、自分はどう思うかと考えることも大切です。一人ひとりに意識を向けながら集団の良さを活かすのがグノ-ブルの授業だといえると思います。

伸びたいという自然な欲求をうまく活かせば、生徒たちは自らの力で伸びる

盛田:世間一般の誤解として、「子どもたちに勉強させるのはかわいそう」とか、「子どもたちにとっては勉強はつまらないものだ」ということがあるように思います。
 しかし大前提として、人類が積み上げて深めてきた知恵を学ぶことは本当に楽しく、面白いものです。生徒たちは、理解が深まり解ける自信をつけるにつれて活き活きとしてきます。生徒たちの伸びたいという自然な欲求をうまく活かし、それにフタをしないことに心をくだき、基本的にはその成長を見守っていく。あとは授業で、こういうことを知っておくといいよ、こういう考え方もあるよと適切なヒントが与えられれば、生徒たちは自らの力で伸びていくものだと思います。

自分以外の「人間のありさまを知ること」に興味を持てなければ、ある一定水準以上の勉強にはつながらない

山下:国語の枠の中で考えると、知ること自体が楽しいという状態は、確かにあると思います。しかし、段々と知的好奇心だけでは生徒たちを引き込めないケースが増えてきます。感覚では3・4年生くらいからです。これは扱っていく題材に生徒の日常と大きくかけ離れたものが出てくるからです。
 例えば、戦時中のお母さんの気持ちを問うような問題が出た時に、早い段階で「わかんない」と言ってしまう生徒はどうしても出てきます。国語の勉強というのは、自分と違う人の感性やものの見方について文章を通して理解を深める作業ですので、どこかで必ず「わかんない」と思う問題は出てきます。その時が教える側の腕の見せどころです。具体的な実感や、説得力を持つ形でストーリーを伝え、こういう人がいて、このように思うことがあるんだよ、と知ってもらえるように工夫します。表情を見て、生徒が納得しているか、わかっていないかを見極めながら授業を進めることで、生徒たちは初めて「あ、そっか」という知的に楽しい状態に持っていくきっかけを掴めるようになります。
 こうして「そうかもしれない」という一歩を踏み出せると、段々と生徒たちの知的好奇心は広がっていきます。逆に、自分以外の「人間のありさまを知ること」に興味を持てなければ、ある一定水準以上の勉強にはつながっていきません。「入試に出るから覚えよう」ということでは限界があるのです。

 

 

座談会に参加された先生方

纓田邦浩(大学受験グノーブル数学科)
清水誠(大学受験グノーブル英語科)
永井裕康(中学受験グノーブル理科科)
盛田一樹(中学受験グノーブル算数科)
山下倫央(中学受験グノーブル国語科)

 

第1回 大学受験と中学受験 それぞれの教育現場の今~その1 
第2回 大学受験と中学受験 それぞれの教育現場の今~その2
第4回 楽しく学べる工夫 その2~大学受験編