5回にわたり、中学受験グノーブルの国語科の先生による座談会を連載いたします。

-中学受験を通して身につける国語の力-
最近の国語入試の状況、国語の力を伸ばすためには何が必要なのか、グノーブルの国語の指導や授業の特色などについて国語科の先生3名に語っていただきました。(『グノレット』16号掲載「グノーブル 国語講師座談会」より)

第5回  国語のセンスと読書について

国語の「センス」とは何か?

yamashita山下:よく国語の苦手なお子様を持つお母さまから「国語のセンスがない」という話を聞くことがあります。「国語のセンス」とは、言い換えると言語に関する経験値だと思います。言語経験が豊かな生徒は、ひとつの言葉からでもいろいろなイメージが湧いてきます。
 言語経験が乏しい場合、まず「聞いたことない」とか「わからない」というところで止まってしまうのです。その差は俗にいう精神年齢が関係しているのかもしれません。
 また、男の子でまだ幼いと思われる生徒でも、6年生の秋口になると急に大人びた発想をするようになるケースをたくさん見てきました。少なくとも中学受験に求められている精神年齢というのは、授業を集中して受けて、問題にきちんと向き合う努力をすることで最終的には追いついてくるという印象があります。

oobayashi大林:国語に限らず何事にも「センス」はあると思いますが、それが大部分を占めているわけではなく、訓練によって培うものの方が、勉強においては割合として高いのではないでしょうか。それは年齢が解決する部分もあります。しかし、「こういう文章だったら、結局こうなるに決まっている」というような当然の筋道がまだわからない子どもには、まわりの大人が導いてあげるほかないと思います。それによって国語の力を上げていくことは十分に可能です。

山下:付け加えますと、子どもの言葉の力というのは「輸入」して育まれるものだと考えています。自分の中で言葉が勝手に生産されて増えていくことはありません。ではどうすればよいかと言うと、自分より言語豊かなところから「輸入」するしかないと考えています。自分より言語豊かなところは大人しかない。そうすると「センスがある」=「言語感覚が優れている」=「大人との言語のつながりが豊かだった子」と言えるのではないでしょうか。
 大人というのは「本の筆者」でもよいわけです。文章の筆者である大人との対話か、実際の大人との対話か、いずれかのルートから言葉をたくさん「輸入」すると言葉が豊かになって、そのことを「センス」と言っているのだと思います。
 だとすると授業の本質もそこにあります。問題の解き方を教えるというよりは、こういう考え方もあるとかこういう言い回しがあるとか、たとえば「友情」について熱く語り、大人社会では損をしてでも自分の名誉を守るような人間を「人情にもろい」というんだみたいな話、いろいろな話をしながらいろいろな言葉を送り届けて、それが積もっていくとそれはいつか「センス」と呼ばれるものになるのです。
 とにかく授業に出席する、そして講師の話を聞き、自分の思ったことを言ったり書いたりして成長することでしか国語のセンスを上げる方法はないと思います。

読書の価値について

hyodou兵頭:読書の影響は大きいと思います。読書というのは前後の文脈が必ず存在するので、言葉を身につけるには格好のものです。前後の文脈のない「語彙集」のようなもので覚えていくのは、言葉を生きたものとして身につける上では非常にもろいのです。読書の経験の中から言葉を蓄えていくと実感が伴ってくるので質の良い言語の経験値が得られると思います。

大林:読書するには自分の興味のあるものばかり読むのではなく、いろいろなジャンルのものをまんべんなく読むことを心掛ける必要があると思います。

山下:私は好きな本を好きなだけ読ませても構わないと思います(笑)。いずれ飽きる時期が来ますから。それで飽きたらもっと難しいものはないのかと、さまよい出てくれればよいのです。
 塾というのはその子に興味のないことや出会うはずのなかったものにも、突発的に出会える場所だと思います。ひとりだったら読む気になれないけれども、先生がいて授業するからこそ読んで何かを感じることができます。ひとりでの読書は読書で大きな価値がありますが、授業では、ひとりではちょっと踏み込めない道を提示し、一緒に歩いてあげることができます。これは特に読書離れが進む現代では、とても大切なことなのです。

兵頭:先ほどの「木」のたとえ話になりますが、根の部分を耕すために読書というのはとても有用だと思います。しかしながら幹の部分、つまり文章を構造的に理解する、文章を構造的につかんだ上でテーマを推し量る力についていうと、必ずしも読書が役立つということではないかもしれません。きちんと筋道立てて読む、文章の構造を論理的に、客観的に把握していくことは、授業を通して理解していくことだと思います。

 山下:5年生までは、言語経験を耕すために読書をしていろいろな言葉に出会って、さまざまな筆者の世界観に触れることは大切だと思います。「読書をしているのに点が伸びない」という話が出るのはおそらく6年生になって模試をたくさん受けて、その結果の偏差値が毎月出てくる時期ではないでしょうか。その時期になると読書はその子にとっての息抜きであって、塾や学校での勉強の行き帰りぐらいは好きな本を読んでリフレッシュするという役割のものになっていくのかなと思います。
 したがって、6年生にとって受験を意識して、点数を確実にあげていきたいという時期で、そのために読書をするというのは成り立たない話かと思います。

国語講師座談会 出席者のご紹介

大林 和弘・兵頭 徹治・山下 倫央(中学受験グノーブル国語科)